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飛騨の匠パート1

こんにちは

少し前に「飛騨の匠は奈良や京都でどんな建物を建てたんですか?」
って質問の電話が来ました。
その時、鞍作止利(くらづくりのとり)のことしか頭に浮かばなくて
法隆寺の釈迦三尊像を作られましたよ・・・と答えたのですが。

その後しっかりお話ができるようにと
自分の言葉で整理してみました。

まず「飛騨の匠」と認められたのは

万葉集の中に
 かにかくも物は思はじ飛騨人の 打つ墨縄のただ一道に

とありますので万葉集ができたのが7世紀半ばですから
そのころにはもう認められていたことになりますね。

養老2年(718)に制定された養老令(賦役令)に斐陀国条が定められ・・・
とあり税金の代わりに飛騨から都へ人材を派遣するという制度があったようです。
1里(50戸)に10人で10里の人足と言うことでしたから約100人の人が
毎年 330日から350日の仕事を都でしていたということです。

1年365日ですからほとんど休み無く働いていたのでしょうね。
さぞ大変だったことでしょう。

都へ行くのも今みたいに車はありませんから集団になって
雨の日も風の日も徒歩で何日もかけて行ったことでしょう。
車でも高速を使って奈良まで5時間はかかると思いますが・・・
気の遠くなる話ですね。

飛騨に残っている人々は???
1年中一家の主が出稼ぎで家を留守にしている
出稼ぎなら帰ってくる時、報酬を持ち帰ると思われますが
お持ち帰りは無く、残された人達はどうやって過ごしていたのでしょう?
今のようにお米が精算されていたのなら
きっとお米を差し出していたでしょう。
それも出来ないから労力で払っていたことになります。
何を食べていたのでしょうね。
何が楽しみだったのでしょう。

こんなことを考えていると
私たちのご先祖様は大変な思いをして土地を守ってこられたのだと
感謝しなければという思いになりますね。

文章が長くなりますので
ここで一旦切らせていただきます。
後日続きを書きたいと思います。
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